2007年3月22日(土)
『農民一揆』VOL.1
Regional development dance symposium
ダンスの現場はいま、観る側と観られる側との緊張感の差異が浮き彫りにされている。
それは観る側よりも観られる側(踊る側)のほうに偏っているという事実だ。
ダンスにはスポーツとしての側面があり、プレイする側の人口の方が多いからである。
ダンスは、楽しい。 流れをつかみ身体を動かすということは人間の正常な欲求のひとつなのだろう。
一方、ダンスを「観る」と言うことは、まったく別のチャンネルが必要とされる。
言語化されていないイマジネーションは、理解するために非常に多くのエネルギーを必要とする。
どんなダンスであれ、意思としての「振付」は存在し、そしてその意思の元で、ダンサーは身体をつむいでいく。
ただ、ダンスをする者の中で「表現」という場に向かう者は、多くはない。
「プレイ」であれば、きっとダンサーがいれば可能だが、
「表現」は、歴然たる意思なくしては生まれないからである。
必然的に、表現に向かう者は少数派となる。
そして需要と供給でいけば、やはり、
「表現」を選んだ者たちにとっての「表現が出来る場所」や「機会」というのもまた、少ない。
「農民」のようなものなのだ。
我々若い世代は、飢えている。
おわかりだろうか?
■スタッフ
プロデュース:トリエユウスケ
照明 : 金子康雄
音響 : 堀口修司(CREATORS CREW)
制作 : 服部哲郎、志紀暁
運営 : afterimage
協力 : COZY DANCE STUDIO